3学期始業式の講話を掲載いたします。
3年生は卒業に向け、1年生、2年生にとっては進級に向け大きな意味を持った3学期が始まりました。3年生は、学年末考査まで残り16日、1.2年生は残り23日を1日1日大切に送って欲しいと思います。
自分の事だけを考えるのではなく、授業を受けている友人の中に進級、卒業が危うい人がいることも考え、皆が協力し、集中できる授業の雰囲気を作り出してください。プラスの相乗効果を生み出し、全員進級卒業をめざしましょう。
また、3年生にとっては高校生活の締めくくりと同時に、新しいステージに向けて準備をする時期です。今一度、自分自身に社会に出てから必要な力がしっかりとついているかをチェックしてください。4月からは、自分自身の本当の力が試される時です。
今までは「挨拶ができること」や「遅刻をしないこと」が優秀だという評価をされてきましたが、社会に出ると「挨拶ができること」や「遅刻をしないこと」が当たり前であり、できない人は「そんなことすらできない人」という風に周りから捉えられます。
学校のように身だしなみの指導もありません。身だしなみはそれぞれの判断に任され、その判断基準によって「清潔感がある」とか「モラルが高い」といった周囲からのプラス評価となり、逆にだらしない恰好をすることが自分自身のマイナスの評価に繋がるのです。ルールがあり、指導がある学校は、一見窮屈そうですが結局甘えや言い訳が通用します。自分自身で判断することは自由なようでも、責任が全て自分自身にかかってきます。戸惑うことのないよう、心の準備をしておいてください。
さて、この年始に起こった出来事を基に少し話をしたいと思います。
1月4日、兵庫県のとある市の市長がマスコミの取材に対して腹を立て、「殺すぞ」という発言をしたことが新聞やテレビで大きく取り上げられました。自ら行き過ぎた発言であったことを認め謝罪はしたものの、市民をはじめ世間からは大きく非難を受けています。
多くの市民の安全安心な生活を守り支えていく立場、さらに言えば命を守っていく立場である市長のこのようなレベルの低い発言に驚きました。
言葉一つひとつには、それぞれの意味があります。人は言葉のやりとりを通じてお互いの考えを理解しあったり、苦しい時に助け合ったり、支えあったりします。悩んでいるとき、落ち込んでいるときに友だちがかけてくれた一言で気持ちが楽になり救われた経験は多くの人が持っているはずです。
ところが「言葉は刃物」という例えがあるように、言葉は使い方を間違えれば凶器となり、相手の心を深く傷つけることになります。 「殺すぞ」と言った市長にもちろん殺意はありません。しかし、言われた側にすると自分の命を軽く見た人権を大きく侵害する発言です。法律上においても「殺すぞ」という発言は、言われた側が訴えれば脅迫罪にあたる行為です。しかし、残念ながら、深く考えることなくこのような発言をしてしまうケースは他にも見られます。
皆さんの中にも心当たりのある人がいると思います。
このような発言をしてしまうのは、言葉の意味を深く考えていないと同時に、言われた時の相手の気持ちが想像できていないのです。発言した側にとっては冗談の延長であっても、言われた側がどのような気持ちになるかが重要です。
これはSNSを通じた会話も同じです。ネットを通じた会話は、相手の顔が見えないため、より過激になったり、集団で一人の人を攻撃することがあります。この場合も、書きこんだ側は軽い気持ちでおこない、相手の心をどれだけ傷つけるかを想像できていないケースが多くあります。
社会に出れば一つひとつの言葉に責任が生じ、高校生の時のように「冗談だった」では通用しなくなります。
軽い気持ちで発言したことで社会的責任を負うことにつながりかねません。言葉の持つ意味をしっかりと考え、発言する習慣を身につけてください。
また、多くの人と人間関係を築き、協力していくためには正しいコミュニケーション力が必要です。
生徒の皆さんには、相手の気持ちを想像する力、そして正しく自分の考えを伝える力をつけて欲しいと思います。
繰り返しになりますが、クラスの皆が力を合わせ、ここにいる全員の進級卒業が叶うことを期待し3学期始業式の式辞とします。