校長室だより 第67号を掲載しました
2014-12-28
校長室だより 第67号 ここに科学の力あり■学校集会 講話(12月24日)■
平成26年もいよいよ終わりに近づきました。
昨日は、天皇誕生日でしたが、81歳を迎えられた天皇陛下が、あいさつで「さまざまな自然災害が日本を襲い、決して安泰であったとは言えない1年が過ぎようとしています」と振り返られたようですが、多くの人がそう感じているのではないかと思います。天皇陛下もおっしゃっていましたが、来る年が明るい年であればと願っています。
さて、今年度、4月から私が皆さんの前で話をするのは、今日で8回目です。
さまざまな話をしたつもりですが、皆さん少しは覚えているでしょうか? 過去7回の中で、最もよく話したことは、何だと思いますか?
「あいさつ」の重要性です。5月、6月、そして夏休み前の7月の学校集会と、3回連続、話をしました。
私は、毎朝、8時15分頃から8時30分前まで、通用門で、「元気にあいさつしよう」という幟を立てて、皆さんを迎えています。そして、可能な限り、一人一人に「おはよう」と声をかけています。
5月の学校集会で、この私の「あいさつ」に対して、みなさんの反応が4パターンあることを紹介しました。
日によって割合は違いますが、
・先にあいさつしてくれる人、これが1割以下
・あいさつを返してくれる人 3~4割
・うなずいたりして一応、反応する人 3~4割
・無視する人 2~3割
の4パターンです。
この割合は、12月現在でもあまり変わりません。
5月から変わったことは、道行く、一般の人たちがあいさつしてくれるようになったことです。特に、保育園へ連れて行ってもらう途中の、自転車の後ろに乗った幼児が手を振ってくれるのは嬉しいですね。幟を指さして、後ろに乗せているお子さんにあいさつを促すお母さんもおられます。
君たちの中にも、徒歩で来る生徒ですが、通用門を通過するときに、イヤホンをきっちりはずしてあいさつしてくれる人もいます。
毎日、繰り返していてわかったことですが、見ず知らずの方でも、こちらから声かけするとほとんどの方が返してくれることです。残念ながら、一番、反応が悪いのは、君たちです。
あいさつをしっかりする生徒が連続して、通用門に入ってくると、ほんとうに気分がよくなります。一方で、無視する人が続くと、気分が落ち込みます。自分の存在そのものが無視されているような気がするのですね。
私自身もあいさつがここまで人の気持ちを変化させるものだとは、自らが立ってあいさつを繰り返すようになって、はじめてわかりました。身を持って実感したということでしょうか。
7月の学校集会では、放送作家の村瀬さんに1年生に講演してくださった内容を紹介し、あいさつの重要性を訴えました。
彼が、「この日本社会ではあいさつできない人は生きていけない」、「いくら能力があっても、あいさつができないと社会で認められない。言い換えれば、あまり能力が高くなくてもあいさつができれば、やっていける」と言っておられたことが特に印象に残っています。
みなさんは、何十人、何百人の人に連続してあいさつをした経験はほとんどないと思います。
私には、15分弱の間、通用門を通過した人の塊、集団としての印象が残ります。私の率直なこの塊としての印象は、礼儀を知らない、気持ちのよくない塊だということです。個々には、きっちりした人はいるのだが、塊、全体として見ると印象が悪い。これがいわゆる学校の雰囲気、たたずまいというものだと思います。
冬休み前に、苦言を呈しましたが、私は、来年も幟を立てて、通用門に立ち続けようと思っています。今日の話を思い出して一人でも多くの生徒があいさつがきるようになることを期待して、話を終えます。
1月8日、元気に学校へ出てきてください。
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